2019.05.29
「石垣島。ビーチとも、RESORTとも無縁。酒と食の奇妙な3日間」
そこそこぶ厚い料理雑誌の写真を見飽きるのはともかく、活字という活字を読みきってしまうほど長い飛行時間だった。地図で見れば成田–上海間よりも距離の長いこの島へのアプローチ。台湾とは、目と鼻の先だ。
肌の温度計で、ざっと30℃弱といったところだろうか。空港の扉が開き南の島の空気をゆっくりと吸い込む間も無く、発車間際のバスから声がかかり飛び乗る。
「冬など無くなってしまえば良い」と3月の終わり頃まで散々愚痴っていた私にとってはこのくらいの気温がベストだ。
車窓から時折左に見える午後の海と、生命力溢れる様々な南国の植生たちが眩しい。確か、前回石垣に来た時は、空と地平の境目が辛うじてわかる程度に薄暗い夕闇の中をレンタカーでひた走ったのを思い出した。
ホテルまで徒歩圏内に差し掛かったところで、バスの呼び鈴を押す。5月も半ばともなれば時期的には3日間の旅程で全て雨や嵐、或いは飛行機が飛ばないことさえ覚悟していた。実に良い天気だ。いつものアジア旅同様荷物も軽い。少し手前のバス停で降りて、散歩がてら街を暫く歩いてみようと思った。たまたま美味そうな八重山そばの店でも見つけたら儲けものだ。
そんな午後の長閑な街を歩く道すがらである。googleマップで現在地を確かめる。思いのほか海から逸れた方角に歩いていたようだった。地図を拡大する。見覚えのある名前が、1つ目の角を右に曲がった先にある。実はこの旅の「一番最後」に、覗けるものなら覗いてみようと思っていた「とある酒蔵」だ。
その泡盛の「後味」を何かに例えようとする。残念ながら全く良いイメージの言葉が出てこない。だから、今回は酒と蔵の名前は敢えて伏せさせてもらう。「田舎の家の畳の匂い」、あるいは、「東南アジアの安ホテルの壁の匂い」とでも言おうか。そう言われて「是非呑んでみたい」と思う人がいるだろうか。いたならそれは私のような「食マゾ」だ。ちなみに私にとって「嫌いな味」の酒はない。食事においても唯一「牛乳」を除けば、よほど残酷な代物以外は食べられないものもほぼないから(チーズやヨーグルトはむしろ好物である)、食にはかなり寛容な方だと思う。
二十歳の頃、村上春樹の旅行記で「ウゾー」という酒を覚えて口に含んで5秒後、その強烈なインパクトに思わず嗚咽したことがあった。当時はこんな酒を美味そうに飲むギリシャ人の味覚を大いに疑ったものだ。それがいつのまにやら、「愛飲」とまではいかないものの、あくまで「癖の強い酒」として懐かしく思い出しながら時折ギリシャ料理屋で飲むようにまでなった。前回の石垣島の旅で、私が、この泡盛の強烈な風味とクセにたじろいだのは、二十歳そこそこで呑んだその「ウゾー」以来の快挙だったと記憶している。
民家として見ればばかなり大きく、酒蔵としてはかなり小さい、古き良き沖縄の建物。そんな佇まいの蔵だった。一度、蔵の周りを一周する。裏手からは、まるで鹿児島の芋焼酎蔵のような、甘く良い匂いが時折漂ってきた。「あの香りとこの匂いが全くリンクしない・・・」。もしかしたら、「私が買ったあのボトルだけ、例外的に独特なひね香が出ていただけなのか?」。とさえ思った。
中の様子を探りつつ、入り口の戸を開ける。左脇には、幸い販売用の酒も売っていたので、「すいません。酒、買いに来ました。」と一言断って周りを見回す。私が呑んだその銘柄のほか数種類。古酒もある。蔵の主はちょうど出かけるところだったようで、「はいはい。今お客さん来てるから、わかってる!もうちょっとで出るから!」と、電話口で話している。あまり長居するわけにはいかなそうだ。
多少値は張るが、迷わず6年古酒を手に取り「下さい。これ。箱は要らないですよ」。蔵の奥を覗いてみる。webで閲覧する限りでは蔵見学自体は一応受けてはいるようだが、あまり積極的には行っていない雰囲気が垣間見れた。だから、たまたま訪れた流れで一瞬だけ中を覗かせてもらえたらラッキー・・・という下こごろはあった。
第一、あのような独特な風味の酒がどのように醸され、そしてそれらが島で愛されて居るのか否かを確かめたいという好奇心が、私を再びこの島へと誘った理由の一つでもあったことは否定できない。少し遠回しに「蔵の中を見てみたい」と話をしているうちに「今、案内できる人間がいないんでねぇ。」と、やんわり断られる。本当は、この島でいろいろと食べて呑んで、島の食と風土を体と心で感じた上、帰りにこの酒がどのようにこの島に息づき、愛されて居るのか。それをちゃんと確かめてから、この蔵に寄ろうと思っていたのだ。それは、いきなり小説の数百ページを飛ばしてエピローグだけを読んでしまうことのようだった。断られたこと自体はもちろん残念でもあるが、反面どこかホッとした。買ったボトルを手に持ち、丁寧に挨拶をして後ろ手に扉を閉める。・・・そして、もう一度、蔵の中の様子を、裏から覗き見ることにした。
薄暗い蔵の中。大手泡盛蔵のような近代的な要素は少なくとも見えない。網戸に顔を付けるようにして覗いてみると、横の引戸の中からちょうど蔵人がタバコを吸いに出て来た。覗き見していたと怒られないよう、買った古酒のボトルをおもむろに見せ、帰って飲むのが楽しみだという風に当たり障りのない話をして誤魔化して、来た道を戻った。
この古酒は、帰ってから開けることにした。島の人に愛される「意味」と「理由」を(そもそも、酒の味というものに意味や理由などが必ずしもあるかもわからないが)色々な島の酒場を巡り確かめてから呑もう、と。そして、またいつか好奇心が高ぶった時に、再び蔵に訪れれば良い。見せてもらえるかどうかは分からないけど。
この泡盛は、それだけ私にとって、謎に包まれた衝撃的な泡盛だったのだ。
地図を眺めながら、この島の商店街にある「公設市場」まで歩くことにした。新鮮な肉や魚、地産品を眺めるのは水族館や博物館の展示を眺めるのと同じくらい楽しい。築地には恐らく届かないであろう珍しい魚。ヤギ肉から桁を一つ間違えそうな高級石垣牛の塊。珍しい地物の練り物もあった。パイナップルや、謎の調味料、何故か常温で置いてある塩辛など興味は尽きないが、各店舗店じまいが近づいている様子で後ろ髪ひかれながら市場を出る。短い商店街にも鮮魚専門店や地物を扱う商店をいくつか物色しながらホテル迄歩く。
途中、「15時開店」という看板を掲げた海鮮料理店を見つける。正直、腹が減っていた。軽く八重山そばを食べて、夜には現地の人が呑みに行くような店をいくつかハシゴしようかと考えていたのだが、今回の旅では正味2日強、レンタカーも借りず島の狭い都市部で、ヒマを持て余すくらいの滞在時間があることを考えれば、どのタイミングで何をするかを細かく考えて行動する必要もなさそうだ。ホテルにチェックインする前に、のんびり刺身で泡盛を呷るのも悪くは無いじゃないか。
自動ドアが開く。勿論開店まもない店内に客の姿はない。15時開店と謳いながらも、さすがにこの時間の来客はかなり想定外だったようで、夜本番の料理の仕込みで忙しそうな厨房を少し驚かせた。仕込みの片手間で一向に構わない。泡盛を頼み、島の魚の寿司だけ出してもらえれば。あとはお構いなく・・・。16時を前にしてカラカラ(琉球方面で主に使われている徳利)から氷を積んだグラスに泡盛を注ぎながら、島時間を一人楽しむことにした。
寿司は、本マグロ、チョウチンマチ(という名の南洋の魚)、ビンチョウ、アカマンボウ、いか、マグロ、えび、アナゴ。赤身の寿司に合う日本酒ももちろん存在するが、「どんな地酒が合いますか?」と言われるとこれが意外と難しい。しかし、焼酎系は「旨みを引き出す」というよりは、「魚臭さを消す」という点においてはある意味日本酒よりも優れていると、数種の泡盛を頂きつつ再認識させられた。
南方の魚は「大味」だと思われがちである。確かに旬もあまりはっきりわからないようなところはあり、真冬の海で脂を蓄えた魚とはジャンルが違う。ねっとりとした食感と比較的淡白な味は好みこそ分かれるが、新鮮なものは、酒と共にいただくと本当に美味い。私は、沖縄本島の屋台村の刺身も、奄美の贔屓の店のお造りも、この石垣島で頂く新鮮な寿司も大好きである。おまけに、この島、酒場の刺身がおしなべてどこも安い。寿司を平らげたら帰ろうと思っていたにもかかわらず、メニューを見て居ると、別の泡盛でもう少しだけ刺身が食いたいと、酒とともに1、2人前の刺身を追加注文した。
「え?刺盛り・・・ですか?」長い人生で、寿司を一通り食べた後に刺盛りを頼んだことは私にも一度もない。正直、寿司で頼んだ魚と被るネタがほとんどであるが、やはり東京に流通しない新鮮な魚たちで泡盛のマッチングを楽しむのは、千載一遇の機会である。案の定、東京の居酒屋で3、4人前はあろう量のお造りが運ばれて来て驚く。
「750円でこれか・・・」この島の酒場は、刺身がとにかく安い。先ほどの「チョウチンマチ」という赤い魚は、腹側と背側で色が違う。刺盛りでは背側の皮目が黒い部位が出てきた。私は「海釣り」をやるので釣った魚の背側と腹側で魚の味が多少違うことも否応なく気づかされるから、こういうのも楽しい。2本目のカラカラを空け、3種類目の泡盛を注文する。なんとなく、身体が少し、島人になっているような錯覚を覚える。
「お客さん、ボトル頼んだ方が安上がりだったのにね・・・。」そう笑われながら、ご機嫌で店を出たのが17時を過ぎた頃。真昼のような太陽が、まだギラギラと西の空に浮かぶ。南の島の、ありえない昼の長さと心地よい夕暮れの風を感じ、オフィスビルの谷間の酒場では感じえない開放感の中、千鳥足で一足早い初夏に足を踏み入れた。
ホテルの部屋で、先程ユーグレナ商店街で買った甘い島のパイナップルを食べながら、ご機嫌で仕事のメールを幾つか打った。それから沖縄と東京の放送が時々切り替わるテレビを眺めているうちにに前日の睡眠不足も手伝い、気づけばベッドに横になっていた。
時計を見ると20時を回っている。ざっと2時間は寝ただろうか。シャワーを浴びて、少し仕事をしてから街を歩くことにした。前回の1泊滞在でも市街地を結構くまなく歩いたつもりだったが、どうやら歩いたのは大通りより海側半分のエリアだったようだ。那覇市内のように観光客でごった返すほど賑やかな繁華街はない。しかし、飲食店が軒を連ねるエリアは、離島の割にはそこそこ広くまずまず活気もあると言えるだろう。2時間弱、私にとっては最も縁のある一杯目「クリアアサヒ」を片手に散歩かねがね路地から路地、ブロックからブロックと練り歩いた。いくつかの店先からは、手拍子と三線の音色が溢れてきた。そんな店で楽しむのも良いなと思いつつも、やはり一人旅はちょっと渋い酒場に限る。
かれこれ2回ほどその「せんべろ」の前は往復しただろうか。2つほど他に入りたい候補もあったが、やはりある程度観光客を見込んで料理を出す店よりは「日本最南端のせんべろというのは話のネタになるな」と、決めて商店街の中にあるその店の暖簾をくぐった。まるで京成立石に紛れ込んだようだった。しかし、残念ながら洗い物を片付けていた店の女将さんに「ああ。もう、こっちは閉めてしまうんだよ。奥のBarスペースがあるからね、そっちで飲んでって!」Barスペースか・・・ちょっと気分が違うな。それならばまた明日来ると店を出ようとするも、廊下に並んでいる冷蔵庫に入った地酒の数々に目を奪われた。「こんな酒があるバーなら、良いツマミと面白い島の泡盛も有りそうだな。」ちょうど、少し日本酒も恋しくなった頃だ。
カウンターに座り、まずはお勧めの泡盛を頂く。お隣・竹富島は波照間酒造の「泡波」だ。この一升瓶ボトルはなかなか珍しく手に入りにくいという。香りが良く、甘みもあり、かなり私の好みの味だった。つまみは、「鯖の燻製」と「豆腐ヨウ」。これは日本酒をアテてみたい。次に頼んだのはやはりお勧めの日本酒。石川の「常きげん」山廃純米だ。アテにも非常に好相性だ。考えてみれば、沖縄あるいは琉球料理と日本酒のマッチングは殆ど試したことが無いか新鮮な感覚だった。店主が「これが一番美味いんです」と豪語する、沖縄本島から取り寄せたその豆腐ヨウは、確かに熟成酒にも、きもとや山廃系、低精米の日本酒にも大体相性が良さそうな気がする。
実は、先ほどまで色々店先を覗いた飲食店の中にも、日本酒の品揃えがかなり充実して居る店を数件目にした。こんな遠い島でも、今や生酒や、無濾過、発泡系などの良い日本酒が普通に飲める時代が来たのだな、と嬉しく思いながら常きげんをあっという間に飲み干してしまった。
2杯目の泡盛は別の銘柄の泡盛だ。先ほどの店でも1杯目に飲んだのがこの銘柄だったが、少し風味が違う。ボトルデザインも違うので、別ラインなのかもしれない。こちらも味に特徴があって美味い。ん?2口目、静かな虫の音を聴くように後味の香りを注意深く「きき耳」を立てるよう探ってみる。「有った。」私が先ほど訪れた「例の酒蔵」の醸す酒の持つ、あの独特なクセのニュアンスをほんのり感じさせるではないか。「そうか。やはり、そうか・・・。」私は、心で呟き頷いた。あの蔵以外にも、わずかにこの香りのニュアンスを感じさせる酒蔵がある。それはつまりあの香りが「この島の酒造りにある特徴の一つ」でもあるという結論に近づいたということだ。
「何が?」店員の子は、私の口の動きを読んだのか、或いは私の心の独り言が思うより大きかったのかわからないが、聞かれたからには「その泡盛」にまつわる話をした。「田舎の畳の匂い」といったストレートな表現は避けながら。
「なるほど。それでもね、昔よりクセがなくなっちゃったなあ、って残念がって居る人。沢山いますよ。」
「そうか。やはり、そうか。」私は先ほどの心の声と同じ、相槌を打った。
帰り際、コンビニで偶然、この日新発売になったというオリオンビール社が作るチューハイを購入した。アテはコンビニに並んでいた初めて見る島の練り物。コンビニに「地物」が売られているというのは素晴らしいことだ。逆に、日本の地方には酒や美味いアテがあるにもかかわらず、その土地のコンビニでは扱いが極めて少ないのは、とても哀しいことでもある。
ホテルへの道すがら、その練り物を1つつまんで齧りながら歩く。どれだけの果汁が入っているのかは置いておいて、シークワーサーの味が非常に際立つし、ウォッカベースなのでバーで飲むライム系カクテルのようでこれが美味い。ビールと日本酒とワインばかり飲んでいる日常だからこそ、普段は2件目以降の居酒屋でしか飲まないチューハイを、歩きながら遠い街で楽しむ非日常に妙に感動した。同時に、普段あまり飲まない酒に対して心持ち料簡が狭くなっているような気がして、少し反省した。
丸い月が低いビルの上に浮かんでいた。南の島といえば満天の星が浮かぶ夜空を想像するが、那覇市内や、奄美の名瀬市内同様、街中で見る星は東京のそれとさして変わらない。きっと、市街地から5キロも離れた海岸線では、何十倍もの数の星を眺めることができるのだろう。
星の美しい南国の島々は、「食文化が発展しにくい」と言うこともできる。
例えば、南洋に浮かぶポリネシアミクロネシアなどの島々は、得られる限られた資源、貿易の難しさ、他文化が入りにくい環境などなど、つまり、地勢的にどうしても言葉通り「ガラパゴス化」せざるを得ない。しかし、その中で育まれる、あまり多く知られていない面白い料理や、味覚、素材が存在し、我々はそれらに時々出会うことも事実だ。勿論、東京で島料理を食べ泡盛を飲むことで90%の食には触れられるかもしれない。しかし、それはやはり島全体の食を100と考えると「東京用にフィルタリングされたもの」に違いない。(これは島に限らず、世界中の郷土の味を他所で食べる全てに言えることだ)
島に来て初めて出会う、知らない食文化や味に出会う旅は、見えない星を、町外れのビーチに見つけに行くのと似ていると思った。
…良く呑んだ。そして、寝坊した。4時半に寝て、9時半に起きた。ホテルの朝飯に手をつけるつもりはなかったが、せめてコーヒーだけでも飲めばよかったと思いながら歯を磨く。
例によって、何を食べるか決めずに10時半の街をぶらつく。予め言っておくが、川平湾でコーラルブルーの海を見たり、カヌーでマングローブ林を行く石垣島ならではのアクティビティは今回一切組み込んでいない。この旅程で見た海は、往復のバスの車窓と、具志堅用高碑の立つフェリーターミナルを歩いた時のみだ。レンタカーを借りていないから、どこにも移動しようもない。行動範囲は、市街地半径3キロ以内。前回石垣島を初めて訪れた1泊旅は、駆けずり回るように島を一周したものだから、今回はこの旅の仕方でいい。多分、女性と一緒に来ていたら、怒って帰りの空港まで一言も口も聞いてくれないだろう。
午前中の街は観光地といえど穏やかでどこの路地もおっとりとした南国らしい空気を湛えていた。昨日入ろうと思っていた美崎牛(石垣島の石垣牛呼称出ない規格の牛。農協の商人と飼料が関係しているらしい)のハンバーグの店は開店時間と書いてある時間にまだCLOSEの札が掛かっていたから諦めた。港の手前の道を曲がり、そこから道沿いに歩くと、遠目にアメリカの小さなスーパーマーケット風情の屋根の建物が見えた。何かの市場か倉庫かと思いながら近くまで歩いてみると、「ファーマーズマーケット」とあった。いわゆる「産直」「物産館」と言われる地産品の市場だ。
こういう場所で、地産の食材を見たり物色するのは楽しい。大小様々なバナナやパイナップルが並ぶ。品種と出来により値段が何倍も違う。村のお母さんが作ったような紅芋の餅や、グルクンなどの地魚の揚げ物、「ジューシー」という名の沖縄地方特有の炊き込みご飯のおにぎり、島豆腐などが所狭しと並んでいる。昨日、商店街の露店で気になった「ピパーチ」という島の調味料もある。店の一番奥に、石垣牛の販売店があった。ここに来る途中、「石垣牛焼肉ランチ5000円」は指をくわえて諦めて来た。昨日のアテはほとんど魚の刺身に終始したから、肉への執着が多少なりともあった。もちろんバーベキューコンロを飛行機に乗せて島に降り立つ訳はない。生肉を買ってそのまま齧りつくわけにもいかない。旨そうなサシの入った肉を眺めるだけ眺め、後ろ髪引かれつつ帰ろうとした目に飛び込んで来たのが「その場で焼肉出来ます。」という文字だった。「・・・何だって?」接客のちょうど終わった店員さんを捕まえ詳しく聞けば、肉を買った人には200円で、コンロから皿、調味料から箸、トング。全てを貸してくれのだという。つまり「買った肉をそのまま外のテーブルつきベンチで食べられる」という夢のような話だった。2、30分の昼食をとるために、1時間街を徘徊した苦労が報われたというものだ。
早速、「この肉はミスジ、これは外モモで・・・1枚単位でも選んでいただいてOKですよ」という丁寧な店員さんに説明していただき、石垣牛3種類の部位と牛串2本を選ぶ。ざっくり計算したところ、おおよそ店の半値で「一人焼肉」を楽しめるというわけだ。
昼から酒はやめようかとも思ったが、「折角だから」という旅先ならではの魔法の言葉の前には無力である。近所のコンビニで、昨日発売された例のチューハイを買って、市場内に戻り、地物の惣菜類を買う。
「今からお肉焼くの?いいですねぇ・・私もあと25分で休憩だからご馳走になりたいわ~」
とやはり島の人々は冗談もご機嫌だ。ジューシーおにぎりや、イカスミの練り物で包んだカレーおにぎり?島らっきょうの塩漬けを郷土食溢れるオリジナルランチを頂くことになった。
肉の焼ける匂いにつられ、地元の老人が遠くのテーブルからやって来た。
「いやあ、美味そうだなあと思ってね。コンロ、これ、自分の?」
「いや、その肉屋さんで200円で貸してくれるんですよ。」
「え!?本当に?私、毎日ここで買い物してるけど知らなかった!」
と言いながら店に入っていったかと思うと、先ほどの肉屋の店員さんと何やら談笑している。その後も通りすがりの夫婦が物珍しそうに見て話しかけてきたりしたので、どうやら地元の人もほとんど知らないグルメを発見できたらしい。
部位別の肉も勿論良いが、1本250円という有りえない値段の牛串がとにかく最高だった。仲間や家族で10本くらい豪快に焼きながらビールを飲んだらきっと最高だろう。
帰り際、店員さんに美味しかったとお礼を言いに戻った際、「始めてからしばらく経つんですが、あまり知られていないんですよ。観光の方にも是非来ていただきたいので是非とも東京で宣伝してください。」という話だったので、「超穴場ランチ」としてこの場を借りてお勧めしたいと思う。
1時間ほどまた街を散歩をしてホテルに戻り、また3時間ほど仕事をした後、再び夜の街に繰り出す。「リゾートアイランドに来て一体何をしているんだ」と呆れられるかもしれないが、一応、「旅先でもしっかり時間をとって仕事をすること」を一つの「義務」としている点は評価していただきたい。そんな風に旅を正当化しながら窓の外の遠い夕暮れの雲を眺めつつ、もしかしたら私の場合、女や酒や博打に溺れるのと同じように「旅に溺れている」のかもしれない、と少しばかり心配になった。
ほんの一瞬、小雨に降られたが、この時期これだけ雨に降られずに済むのは運が良いと言えるだろう。昨日、私が成田を離れた辺りから東京は大雨だったらしい。
繁華街の一角に、「石垣島ビレッジ」という名の小さな飲食店がたくさん入った、比較的新し目の集合テナントがある。「3階建てビルの屋台村」という表現が的確だろうか。前回の旅でもかなり気にはなっていたが、結局入らずじまいだった。
島料理全般を扱う居酒屋や、むしろ東京にありそうなメニュー中心の居酒屋。石垣牛や、各国料理店、ラーメン屋など。一通り雰囲気を眺める。店選びでは時間をかけるというより優柔不断な私が、階段を登って右側に見つけた店の暖簾を、この日は迷いなくくぐった。(実際半オープンエアなので暖簾は無いのだけれど)
「新川練物商店」揚げたて「八重山かまぼこ」5種盛りを、こちらもメニューを一切迷わず頼む。やはり、練り物は作りたて、ないしは揚げたてに限る。これもやはり地泡盛で頂くことにする。九州では関東で言う所の「さつま揚げ」を天ぷらと呼ぶようだが、九州に近い琉球地方はやはり「天ぷら」と呼ぶのだろうか。泡盛も良いが、これはまた反射的にコクのある芋焼酎も飲みたくなるような旨さである。
昨日から野菜をあまり取っていないので、何かサラダでも頼もうと思ったがどうしても気になるメニューがあった。「オクラのナムル」。ナムルと書いてあるにもかかわらず「アツアツ」とは何事か。「わからないまま」、いや、「わからないから」注文する。最初の泡盛を開ける頃、ごま油で素揚げしたオクラの上に大量の鰹節が踊りながらやって来て、ついでにオープンテラスの夜風に舞いながら何処かへ消えた。「実はこれ、うちの推しメニューなんですよ。・・・美味いです。」と店員のアニキの一言に鰹節同様心踊る。
美味い。一度茹でてから揚げているのかと聞くと、どうも生のまま高温で揚げるらしい。塩加減と鰹節、そして舌が火傷しそうに滾ったごま油の香りが最高である。この味は、正直日本酒にはあまり合わないだろう。何故かというと、日本酒とごま油の相性自体があまり芳しく無い。その代わり、ごま油を多用する焼酎文化根強い韓国でソジュ(焼酎)が人気のように、同じ焼酎である「泡盛」には抜群の相性である。
「俺はアタリメニューを引くのが強い」、とほろ酔いに自画自賛しながら、2杯目の泡盛古酒を飲み干して店を出る。
2軒目には豪勢な刺盛りが目に止まり、正直雰囲気であまり期待しないで入った店は、やはり予想通りあまり良くはなかった。ただ一つ嬉しかったのは、刺身のツマと共に「海ぶどう」が添え物として使われていたところだ。多くの店で海ぶどうは添え物として出すにはあまり安価な素材では無いから、単品メニューで提供する。この店はそこは気が利いていた。しかし、あまり言えない問題もあったので、この店についてはあれこれと触れないことにする。
3軒目、「この島最後の酒」にしようと、立ち寄ったのが前日に入れなかった「せんべろ」である。昨日のおかみさんは私に気づいて手を振ってくれた。実は昨日店じまいの後、おかみさんは私が飲んでいた店裏のバーの、一人挟んだ2つ隣席でチビチビと美味そうにビールを呑んでいた。私もきっと、さんざ酔っ払いの愚痴やらとりとめない話を聞いた後だったらここで一杯飲みたくなるだろうな、と思った。
昨日の話を軽くしながら、この日も時計を見れば閉店間際なので「せんべろ」セットなる、「アテ1品に酒3杯」という、お決まりを頼むことにした。
泡盛、日本酒と頼んで、〆も泡盛。(量は半合程度だが日本酒は「奥の松」ちゃんとしている。)
「日本最南端のせんべろ」を出た酔っ払いは、5月の南風に吹かれながらこの旅路でビールを1本も呑んでいないことに気がついた。
沖縄地方に来て、オリオンを飲まないビール好きの酒呑みなど、どこに居るだろう。
しかしながら、魚に肉に酒。どこぞのビーチの写真をインスタに上げたり生い茂るマングローブの林を巡っていは感じることのできなかった、酒場文化・食文化の表面的なものの奥にある「何か」。それを、バカみたいに昼夜の街を歩き全銘柄の泡盛に溺れるという「地味すぎるデスティネーション」で得られたものは、活字でとても表現できるようなものでは無い、満足をえられたと思っている。もちろん、前回の旅で、いわゆる名物料理、郷土料理と呼ばれるものをある程度いただいた上だから、いわゆる観光で行かない店に行けたり、プライオリティ重視でない注文の仕方ができたと言えるのだけれど。
翌朝、空港に向かう直前にようやく八重山そばを食べた。やれやれ。旅の最後のシメに訪れようとした泡盛蔵に最初に訪れ、旅の最初に食べるつもりだった八重山そばを旅の最後に食べることになるなんて。この店も、実に味のある店だった。店の雰囲気通り、味のある良い味だった。気になっていた「ピパーチ」なる調味料も八重山そばに入れ、更にこっそり手の甲に盛ってそのまま舐めたりもした。
空港で、「例の泡盛古酒」を開けて、少し舐めて見た。「やはり・・・」その感想は、また近いうち訪れる南国の旅まで取っておこうと思う。
海を見ない。オリオンビールを飲まない。八重山そばを危うく食べ損ねそうになる「石垣島の酒と食の旅路」。
完