2019.06.11
北緯24度の島旅・フィナーレ。宮古島の泡盛に纏わる感動の旅路と島を間違えた男たち。②<10年後の夢を叶える「山ちゃん」の洞窟古酒と2羽の蝶・篇>
宮古そばを食べた丸吉食堂で頂いた、コーヒー味のアイスキャンディーを齧りながら、私は酒蔵の周りを一周する。
風が吹いて揺れることも無いサトウキビは、まるで風景画の一部のようにそこにただ佇んでいる。先ほどより少し強くなった日差しは、東京より一足早い真夏を誇示しているようだった。かなり遠くから聞こえる1匹の蝉が、この静すぎる正午の世界が静物画出ないことを示す唯一の存在とばかりに、精いっぱい鳴き続けている。静かで、のどかな昼だ。
「酒蔵見学」の文字を確認して、戸を開けた。奥から明るい女性の声がしてまずホッとした。酒蔵というものはかなり繊細な作業をこなす仕事が多い業種なので、あまり積極的に見学を受け入れているところは正直少ない。酒を買いに行っても、中には面倒臭そうに追い払われることだって稀にある。人の口に入るものを扱うのだから当然のことだ。
それに、「もろみ」や、「麹」に纏わる作業は、空気中の雑菌が、時に酒造りの命取りになるという現実を考えれば、このように門戸を開き、酒造りに影響のないであろう部分を、開放し迎え入れてくれている蔵があるということは私たち酒好きにとってはとても有難いことなのだ。
まずは酒造りのビデオを見させてもらう。さらには古酒から限定酒までも無料で試飲させてもらえるという、至れり尽くせりの歓迎を知り逆にショックを受ける。
私の酒蔵巡り車で来たことを激しく後悔する」というのがもはや「様式美的」毎度のこととなっているからだ。
そんな時はせめてもと、テイスティング出来る全泡盛の香りをしっかり嗅いでイメージを膨らます。利酒師の端くれとして、ささやかな「意地」である。
蔵から少し歩いた所に、「洞窟貯蔵庫」があるという。丁度昨年の今頃、フランスはシャンパーニュの名門「ルイナール」の洞窟貯蔵庫を見させてもらった時の感動を思い出した。是が非でも拝見したいとお願いして、もう一人案内係のスタッフの女性に、案内してもらうことになった。
日傘をさして歩く道すがら、ヤギの小屋や、関東では見かけない南国の植生、珍しい虫たちを目にする。蝉の声も勿論違う。先程鳴いてた蝉は2匹に増えていた。草木が茂る小さな丘を登った先に、その洞窟は大きな口を開いていた。
狭い洞窟の階段を1歩降りる度に、温度が僅かに下がってゆくのを感じる。やがて微かな電灯に照らされた巨大な、恐らく2.5升瓶が見えてきた。更に目が慣れてくると、薄暗がりと同化した大きな壺が、奥に無数に連なっている様子がみてとれる。
(ちなみに、普段この洞窟は入口を閉じ、この照明も完全に落としているそうだ。)
「眠る」という言葉が、まさにぴったりの環境で、泡盛は自らの熟成年月を過ごす。なだらかな傾斜とカーブに並んだ甕。沈黙の時間だけ味の深みが増すのだろう。数十年を超えるいかにも古い甕もあった。それは呼吸も静かに蹲る冬眠中の生き物のように見えなくもなかった。
さらに目が慣れてくると、洞窟の中の壁や、電灯の笠が黒い埃のようなもので所々覆われていることに気がつく。正体は、泡盛を醸す上での「命」である。泡盛は勿論、多くの焼酎蔵の壁が所々黒く薄汚れたように見える様子をご存知の方も中にはいるだろう。そう。これが「黒麹」なのだ。
洞窟の入口で、「ここはパワースポットとも言われる、縁起のいい洞窟貯蔵洞窟なんです。」という言葉を聞いた。へえ、と、中の様子の方が気になっていただけに、正直に言うと半分上の空だった。
しかし、私は洞窟の半ばあたりにある甕の札に、思いがけず目を奪われた。それは10年という歳月の中でそれなりに黒麹に覆われていたが、決して達筆とは言い難い「味わいのある筆跡」で書かれた文字は十分に読み取ることができた。ここ数日のネットニュースやテレビで、かなりの「既視感」がある人名がそこにあった。
”未来の奥さんへ 南海キャンディーズ 山里 亮太”
「時の人じゃないですか。・・・しかも、ご婚約されたばかりだし。」
泡盛の眠りを覚まさないよう、無意識に小声になっていた私が少し興奮気味に話したその声は、洞窟の中に幾分響いた。
私の言葉を待っていたかのように、案内スタッフの女性は頷きながら言った。
「これ、札にも書いてありますが、10年前に山里さん貯蔵されて・・・つまり今年でちょうど節目。「満期」なんです。」
ひときわ低い私の声が、一段高く、そして更に大きくなってしまった。
「山ちゃん・・・やるなあ。・・・『願いを叶えた洞窟の古酒』・・・ってわけか。」
「奇跡」という部類に入るであろう出来事に、さすがに私は唸るばかりだった。しかも、奥さんは誰もが驚くあの女優さんときて世間は大騒ぎの真っ最中だ。これがもし偶然なら、山里さんは相当「持ってる」人ということになるし、仮にもし10年先を見越してこの洞窟に思いを込めたとしたら、とんでもない「ヤリ手」ということになるだろう。
暫く壁に浮いた黒麹の様子や、ほとんど文字の消えかけた古い甕なども眺めながら、10年先のことを考えて見た。生きているかも定かでないな、と思った。10年先、自分が呑む予定の酒になんと書くか。やはり即座には思いつかず、私たちはゆっくりと階段を歩いて、地上に戻った。
蝉はもう、鳴いていなかった。
・・・これは、私の「こじつけ」にすぎないかもしれないが、偶然でも何でも、事実、私の目の前に起こったことなので、ここに記しておこうと思う・・・
「2羽のゴマダラチョウ」が丘を下りるアダンの木の木陰から、左の草むらの向こうに羽ばたいて消えて行った。丁度、それは洞窟の真上の辺りだったように思う。「・・・そんなロマンティックなことがあるか?考えすぎだよ。だって・・・『山ちゃん』だぜ。」(先ほどからお会いしたことも無い山里さんを「山ちゃん」と呼ぶことは失礼とは思うが、どうかお許し頂きたい...)
それでも、私は、何だか驚きのような、ときめきのようなものを、その時心の何処かに感じざるを得なかった。
蔵まで戻る途中、小屋のヤギと目が合った。哲学者のような瞳をした彼なら、もしかしたら、「泡盛の神様」だか、「黒麹の神様」だかの存在を、知っているのかもしれないな。と思った。
手持ちの金が無かった私は、機内でこの文章を書いている今も、ちょっと後悔している。
「10年後の為に、やっぱり古酒を仕込んで来れば良かったな」と。
さらに、旅は続く・・・