2019.02.07
201605 Philippinesマニラ④シロツメクサの首飾り。
philippinesマニラ③ ドブ川と熱帯魚。からの続き・・・
暫く振り、マニラ旅の続き。
こういう旅を年に何度もしてるのだけど、いざ、過去に書いた草稿を見直し、改めてブログに書き起こすのは結構難しい作業ですね。
____アジア旅の中で時々出会ういくつもの悲哀を見つめながら、その経験をただ自分のものとして記憶に留めるではなく、未来の、豊かで平和なアジアに数ミリでも近づける希望に変えられないものかと、時に痛烈に思う時がある。もちろん、ただ思うだけでは、どうにもならないのだけれど。____
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「マカティのロビンソンまで。」
陽気で、おしゃべりな『不良運転手』だった。マニラお決まりの値段交渉。「まあ妥当か。」と思われる額で、助手席のドアを開け乗り込む。勿論、彼はタクシーメーターを下ろさないまま(要するに、運賃を会社からネコババする為)車を出し、モールの側道から、広い道に出た。
「マニラには仕事で来てるのか?」いや、プライベートだよ。
「一人か?」そうだよ。
「分かったぞ、女がフィリピンに居るんだろ?」居ないよ。
「そうか。じゃあ女の子と遊ぶために来たんだ。」違うよ。俺はそういうところ、苦手なんだ。
こういう質問を、アジアでは稀に経験する。観光地としての見どころは決して多くなく、むしろ歓楽街として名高いマニラならこれも仕方が無いことだなと、思わず苦笑いする。
「本当か?あんた変わってるな。日本人か?あんた、髪長いな。」「そうだよ。髪の長い日本人は少ないが、そういう考えの日本人だって多いんだ。覚えといてくれ。」
彼とのやりとりはすなわち、「女遊び以外の目的でマニラを旅する日本人は多くない」ということを証明するようでもあった。
アジアの歓楽街で稀に「日本人の男は、金持ちでスケベだ。」という印象があることを知ると、いつも恥ずかしい気持ちになる。私だって、「3度の飯と同じくらい」綺麗な女性は好きだから、男として勿論そういう気持ち自体は分かる。しかしやはり、どうしたってそういうレッテルは哀しいものだ。
マカティにさしかかる大通りの渋滞で、車が止まる。先の信号が詰まっているようだった。外を見ると、道端の植え込みに2歳くらいの幼児を背負った、7、8歳くらいの女の子が、編んだ草の輪ようなものを片手に持って歩いていた。
「こんな所で遊んでたら危ないな。」と心配した次の瞬間、私が乗っている助手席の窓を彼女がコンコンと叩いて、何か話しかけてくる。
「何て言ってるんだ?」と運転手に聞くと、彼は少し憂いを滲ませたような笑みを浮かべ、低いトーンで言った。「いや。あんたは、相手にしないで良いんだよ。」
そうか・・・。そこで、ようやく理解した。彼女は、「ストリート・チルドレン」だ。
こんなに幼い子が・・・・・赤ん坊を背負った彼女は、きっと一日中車通りの多い車道脇で、その辺に自生している小さな花を摘んで作った花輪を売っているのだ。
___以前アンコールワットの近くにある遺跡で、いわゆる「物売り」の子供を気の毒に思いTシャツを買ったことがある。元々商売人だった私はその「クセ」で結構しっかり値切ったものだから、彼女にとってはあまり上客ではなかったかもしれない。
女の子は、親だか胴元だかに売り上げを持って行くその金を握った瞬間、遺跡の入り口から道路の方にそそくさと走り去って行った。
大樹の根が遺跡を侵食する、見事な「タ・プローム」の遺跡を眺め歩きながら、ずっと思い出ていした。「子供達を商売道具にする大人が居なくなるよう、子供達からものを買ってはいけません。」という旅にまつわる、どこかの旅行ガイドの記事を。
遺跡を出た帰り道、ミネラルウォーターを売りに来た小さな子供達に、「ごめん!水はもってるから、僕は要らないよ。」そう言い自転車を跨ぐと、あまりセールスが上手ではなさそうなやせ細った女の子が一人、「50セント、30セント、20セント・・・」と言いながら半ば諦めながら哀しい顔でついてくる。心を鬼にして、手を振ってペダルを漕いだ。間違っているのか、間違っていないのか、分からない。
西日が差す延々と続く森の道を走りながら、遺跡を見た感動が霞む位に落ち込んだ日没は、今でもありありと胸に蘇る。___
コンコンと窓を叩く彼女と、物心も付いていないであろう背負われた幼児の様子を改めて見た。・・・この子たちは、この時間学校に通って、午後にはクーラーのきいた部屋で美味しいチョコレートを食べて、夜にはちゃんと屋根のある部屋で眠りにつける子供たちと、何故こんな年頃から天と地程違う生活を強いらなくてはならない運命なのだろうか。
運転手は窓を開けるなと言うだろう。しかし、それは客である私の勝手だ。ほんの少しだけでもお金をあげようと、バッグをまさぐった。だが惜しくもフィリピンペソの入った財布は狭い助手席の膝下に置いたカバンの奥の方に沈んでしまったようで、なかなか引っ張りだせない。
前方の信号が変わり、前方の車列が順に動き始めた。女の子に「NO」と首を振る。すると彼女は、先ほどよりも強く窓を叩き、また、何か言う。
ドアノブを引こうとするが、タクシー強盗の居るマニラでは、乗り込む際にドアロックをするのがセオリーなので、当然開かない。
前の車が動いた。やがて彼女は怒った顔をしながら、最後にドアのパネルを、強く一叩きして、諦めた。薄い鉄板の立てた、ボコ…という軽い音が、ずしりと心に響く。手だって、きっと痛かったと思う。諦めと怒りを含んだ、見知らぬ大人に対する、はっきりとした憤りの感情をどう受け止めれば良いのか分からないまま、私はようやく探り出した財布で、無意識に膝をたたいた。
パン工場の流れ作業のように、感情を無にして、ただ一日通りゆく車の窓を鼻歌交じりに叩くのが彼女の仕事であれば、まだ救いもある。
しかし、あのドアに浴びせた一撃は、彼女の心の底から沸き起り、勢いのまま振りかざした重い重い感情のハンマーに違いなかった。そのハンマーを、彼女は、一日に何度も何度も、妹を背負ったあの細い腕で、振りかざしているのだろうか。
あれほど饒舌だった運転手は、「彼女のようなストリートチルドレンは、今もたくさんいるのか?」と私が問うと、「ああ、いるよ。色んなところにね。」という返事をして、それから喋りかけてくることはなかった。
涼しい顔をして、前を見つめて、まるで優良ドライバーのようにハンドルを握り、ブレーキを踏んだり、時折クラクションを鳴らしながら車線を変更したりしていた。
涼しい顔を装っているのか、それとも、「仕方ないんだよ、可哀想だけど。これがこの国の現実なのだから」という、悟りの表情なのか。
目的地に着いて、料金を払い、互いに笑顔で「じゃあね。」とタクシーのドアを閉めた後も、彼の心の内を、推し量ることが出来なかった。
そして、私はこの旅路で、自分の首には小さすぎる、あのシロツメクサの小さな首飾りを買いに戻ることも、やはり出来なかった。
旅は、楽しいことばかりではない。誰もが時にこういう経験をして、心の十字架を背負い、日々生きるべきだとも思わない。
ただ、旅は、綺麗事では乗り越えられぬ、生やさしくない不意があるから、人はもっと優しくなければいけない、強くならなくてはいけないと、時に生き方を考えさせられ自らを肉付けする、リアルな教科書にもなる。
続く