2018.05.23
晩酌と器の備忘録。2018.4 ②ビリヤニ奮闘記。『ビリギリ』。
~以前Facebookにupしようとしたもののあまりにも文が長いのでお蔵入り。晴れてブログ記事として。~2018.5.23
4月×日
ふと、「あ。今夜カレーにしよう。」と考える奥様は、少なく見積もって全国に毎日50万人。人口比率でざっと200人に一人は存在するのではないかと思う。インドではどうだ?考えようとしたけど辞めた。多分億単位である。そもそもカレーという概念が日本とは違う。
日本に戻って、ふと、『あ。今夜ビリヤニにしよう。』などと口走るような日本人はどのくらいいるだろうか?いるとすれば奇人。良く言っても「変人」に違いない。
…4月にしては暑いある晩、まさかの魔が差した。スリランカ人の知り合いに先日教えてもらったアジア食材店の前を通りかかった私の左手は、そもそも買う予定だった香辛料の類の他に、パキスタン産の怪しげな『ビリヤニの素』を握りしめていた。
家に帰り、早速作ろうと鍋を用意した直後、私は愕然とした。あろうことかビリヤニの素の『レシピ』欄に、日本語の食品表示シールが貼られているおかげで「作り方」が全く解読不能である。この手薄さは、アジアの「輸入食材あるある」の代表格だ。・・・仕方がない。ここは勘で作る他ない。
そんな私に、更なる悲劇が襲う。悲劇というよりは自ら招いた「ポカ」である。先程、店でバスマティライスを買い忘れた。「変なお菓子」に気を取られてうっかり一度置いた米の購入を忘れてしまった。我が家にあるライスは、勿論我が国・日本が誇るジャポニカ米の雄「コシヒカリ」オンリーである。
まあいいだろう。米は米だ。麦とは違う。ジャポニカ米もインディカ米も、要するに米という苗字がつく親戚のようなものだ。何十世代と遡れば、自分にだってネパールあたりに縁戚がいるかもしれない。
「レシピがわからない?そもそも米が違う?…だから何だと言うのだ。俺は、あくまで『創作ビリヤニ』を作ろうとしている。いいんだ。それで良いんだよ。」
誰もいないキッチン。孤独とはこういう時に感じるものだ。
腹をくくったものの、やはり諦めきれずパッケージの『作り方』欄をなんとかLEDランプにかざして読み取ろうと試みる。どうやら『玉ねぎを執拗に炒めろ』と書いてある(ような気がした)。よし。ここはカレーの要領で、しつこく炒めることにしよう。カレーを炒める「油」には、私なりのこだわりがある。「マスタードオイル」である。これがまたその辺の店には売っていない代物だ。
舐めると洋芥子のようなピリッとした辛さがあって、スパイス料理はもちろんちょっとしたオツマミに使っても最高なのである。ただし、大昔のアメリカで、確か「トランス脂肪酸が多い油」としてデータを発表されやり玉に挙がった過去があり、果たしてどこまでその信憑性があるか今日において不確かではあるが(輸出入の問題で外国産の油が虐げられた、という噂もあるとかないとか?)心配な方にはオススメしない。しかしながら、インドや周辺国では、非常にポピュラーで愛されている。いわばオイルの代表格の一つなのである。
さて、完成形にかなりの疑問を呈し始めた段階で、勢いよくざっくりと切った地鶏を鍋にブチ込む。「いい予感」、「悪い予感」で言えば、後者の方が圧倒的優勢の中、鶏肉がパチパチと音を立てながら熱されてゆく。「大丈夫だ。ダメだったらカレー粉でもぶち込んでカレーチャーハンでも作ろう」そんな弱気なささやきも聞こえてくる中、万を辞して、ヤケクソでビリヤニの素を半分ほど投入。
その時だ。暗中模索と後悔が織りなす厨房を、ふわっと、まるで絹のベールが包むように優しいアジアの香りが部屋を包み込んだ。「嗅覚」という知覚は、最も記憶との結びつきが直接的で、なんでも過去の記憶を蘇らせやすい感覚らしい。ふと街で出会った懐かしい香水の匂いに振り返り、そこに昔好きだった人の影を見るような、そういう類の経験が無いだろうか?私は・・・ある。
この瞬間、私は南の街を、次々とトリップした。
ホーチミン・ベンタイン市場前の、夜の喧噪。
クアラルンプール・インド人街、サモサ売りのオヤジが着てた派手な柄のシャツ。
ヤンゴン街角のダンパウ(ミャンマーではビリヤニをこう言う)屋のバカでかい鍋。
そして、インドはケララの港「スパイス・ストリート」でトラックから降ろされる大量のスパイス。
気分は一気に晴れるのであった。炊飯器には先程砥いだ3合の米。
『ビリヤニハ、大量ニ作レバ作ルホドウマインダ。』数年前に帰国してしまった友人サリムさんの言葉は、私への置き土産のように、この日まで耳に残っていた。
気付けばキツネ色に炒め上がったタマネギと水、鶏肉、スパイスらが鍋の中でぐつぐつと、更に良い香りを醸す。それらを全て、炊飯ガス釜にぶち込む。スイッチON。「チチチチチ・・・ヴォッ!」よし。これが今日、私がビリヤニという料理に捧げた「ベスト」だ。それは結果よりも価値が有る。
コンビニでビールを買い1ブロック散歩して、部屋に戻る。
外出してリセットされた鼻に、再び炊き上がったその香りが届く。「こ、ここは・・コーチン・エルナクラム駅前の食堂か?」
遥か数千キロの先。陽炎立つ、土色の灼熱の中をオートリキシャが走り抜ける・・・まさしく遠い南インドの空気が、そこに充満していた。
釜の炎は丁度「保温」になって間もない様だ。万を辞して、私は釜の蓋を開けた。
……な…なんだこれは…。
愕然として膝をつく(今思えば元々膝をついていた)。その見た目は、凡そ地味な『炊き込みご飯』である。
まず、黄色くない!満遍なく茶色く、インスタ映えの「イ」の字も無い。あたかも「醤油を入れすぎた鳥五目御飯」という風情である。利休は「茶碗の中の宇宙」を見つめた。方や私は「釜の中に現実」を見つめ、テンション急降下の中で釜をかき混ぜる。「やはりダメだ。」案の定、期待していたようなあのビリヤニ 特有の白、黄色、茶色という「ライス・グラデーション」は何処にもなかった。掘れど掘れど、炊き込みご飯。徳川埋蔵金が出ない糸井重里はこんな気分だったのだろう。かくして、不覚にも『ビリヤニ風炊き込みご飯』が完成したのであった。
とりあえずは、買ってきてしまったビールを通夜の帰りの如く開け一口。
そして実食。
『あれ?……美味いぞ。これ、ビリヤニだわ。』
何と言うことだ。やはりこの手のスパイスを使う料理は、よほど本筋を外れない限り、大きくブレない。見た目とは裏腹に、スパイシー且つ、「香り」で食わせるその「インド風炊き込みご飯」は、実にビールがすすむ。目を瞑ると、あの日沈没しそうな5円の渡し船の上で、インド洋を強烈なオレンジ色に染めた34℃の夕日が見えた。「何ということだ、目を閉じたのに、眩しいなんて」。
「青い食器」というのは、綺麗だけれど実は料理に合わせるのがかなり難しい。しかし、カレーや南国、中東系の料理には、ことのほか相性が良い。だから私がカレーを食べる時は大体ターコイズブルーの皿を使う。
言うのも野暮なくらいだが、ビリヤニはビールに抜群に合う。アジアを旅して各国でビールを飲んで分かること。それは、比較的軽快なビールが主流だということだ。すなわち、重いヨーロッパの濃いビールよりも、「爽快なビール」×「スパイシーな料理」の相性が良いということだ。手前味噌で恐縮だが、爽快なキレのクリアアサヒは、インドカレーやビリヤニといった類には、掛け値なしに抜群の相性といえる。
しかし…3合は作りすぎた。
「明日の昼飯にしようか」。
冷蔵庫は、南蛮漬けやナムル、自家製アンチョビなどのタッパー、そして夥しい数の酒の瓶で満室状態である。ならばとラップで丸く幾つかに分け、タッパーとタッパーの間に置く。…ん?これ、もはや『おにぎり』だよな。
翌朝、3つあるうちの一番大きいラップを開け、試しに移動先の車内で食べてみる。なるほど。冷えててもこれは結構美味い。「ビリヤニのおにぎり」。か。
略して『ビリギリ』。
こうして、『おにぎり』という日本食における「新ジャンル」が、この国にまた一つ誕生するのであった。
最後に一言。
私が作ったものは、
全然「ビリヤニ」ではない・・・