2016.12.08
阪本健陶展 12.3ー12.11 「作家物」を愛でる食卓。
大阪に窯を持ち、なかなか東京に出て来てくれない阪本さんがようやく重い腰を上げ東京で個展を。
小鉢に焼酎カップ、中皿に、ぐい呑。
数年前横浜の陶器イベントで彼の器に出会い、その数か月後偶然京都の清水焼陶器市で会い、今では我が家の日用使いのとして最も使用頻度が高い食器の作者である。
「良い器」にはいろいろな定義があるけれど、無意識に食器棚から手が伸びてしまう器こそ「良い器」である。すなわち「日用使いに優れている器」であり「なんとなく使いたくなる器」という2条件を兼ね備えているわけだから。
そんな器を作る阪本さんのキャラも魅力だ。一言で言うとこの人は絶対に「人間が良い」。荒々しい作風の器を多く作る割には性格がとても朗らか。器作りのポリシーは非常にしっかりしているし、恐らく頑固な所も恐らくあるのだろうけれどとかく謙虚。それに、商売っ気やギラギラした野望に興ざめするような感じが微塵も無い。そこが良い。
「何故わざわざ器を買うのか?器を買えた所で味が変わる訳でもあるまい。」と思う方が結構多いと思う。少なくとも自分も昔はそうだった。しかし、箱根山の公園で食べるおにぎりと、暗い地下倉庫の隅で食べるおにぎりが絶対的に同じ味と我々は感じるだろうか。更に言えば社員食堂の傷だらけの白いプラスティックの碗で食べる白飯と、素朴で味わい深い陶器の茶碗で食べる白飯が同じだろうか。それは、人間という情緒に長けた動物が持っている「正常」な「ズレ」の感覚だと私は思うのだ。
気の利いた高級な飲食店でさえなかなか作家ものの良い器に出会うことは難しい。そこには理由がある。器はまず割れ物である。毎日何人もの人の為に料理を盛り洗いを繰り返すうちに、割れたりかけたりする割合が高い。また、料理を提供する上で、皿の種類が違えば盛り方も変わって来るし、例えばコース料理で8人の来客の皿が2、3週類でバラバラだったとすると間違いなく違和感を覚える。一揃えで同じ皿を沢山ストックしなければならないのが飲食店の宿命というものだ。そうなれば高価な作家物を沢山購入するわけにはいかないのは勿論、陶芸作家さんが次の機会にも同じ物を作っている保証が無い。更には作家が同じものを作りたくても発色や質感を再現きるとは限らないから、お店は買い増しが利かないのだ。
その点、飲食店に比べて、われわれ個人が個人作家さんの良い器を1つ2つ持ってみるにはある意味好都合でもあるのだ。作り手の気持ちと手ざわりが込められた「作家物」の器というものを買って帰って、包装紙を解いて、眺めて、暫く水に浸してみてから使ってみる。なんと月並みな食生活が、チープな食材が、美しく豊かに映えるものだろうか。陶磁器の個人作家がこれだけ多い国は日本を置いて他に無いそうだ。独創的で、個性的で、自分に合う一点ものの器に巡り合うチャンスに我々は恵まれているというわけだ。
器大国・日本の大切なカルチャーが、もう少し世間に浸透すればいいなと思っている。あなたの生活にも、是非一つ。美味しい器を。
阪本健陶展 everyday table 2016.12.3 ~ 2016.12.11
器と珈琲 織部下北沢店
東京都世田谷区北沢2-2-3 1F
ちなみに一番手前の陶板は申し訳ありませんが売約済みです。
私の。