2016.02.14
サカモトサン ノ ウツワ。
「器」は、結局のところ、人の好みだ。
かの秀吉は、利休が好んだ黒い茶碗が嫌いだった。
魯山人は、究極の理想の器を求めるが故に、自ら窯を築いた。
自分の母は、気に入った抹茶茶碗を「次の茶会に使いたいから。」などと言いながらなかなか返してくれない。
人それぞれ、色、カタチ、質感、大きさ。全く違う、それぞれの好みがあるから器というものは面白い。
自分には、「この人の作る器は本当に良いなあ」としみじみ思う贔屓の現代陶芸作家さんが何人かいる。
昨年の夏。横浜赤レンガ倉庫で行われた新進気鋭の若い作家さんたちが集う陶芸展の会場に、
ふらっと友人と訪れた。
たまたま物販ブースで見た、見知らぬ作家さんの作った一つの器が心を引きつけて離さなかった。
実はこの日の直前、少々大きな買い物をしたばかりだったので、
「今日は絶対に何も買わない」と心に決めて家を出たのだけれど、
結局のところ自分の欲望に負けてしまった。
半年後、京都の清水焼の祭りを訪れた。
またしてもひとつふたつ、気になる面白い器を見つけた。
手に取った器の棚の並びに、どこかで見覚えの有る器があった。
そしてどこかで見覚えの有る人が、ニコニコしながらお客さんと話していた。
赤レンガ倉庫で見た器と、その人だった。
阪本ケンさんだ。
阪本さん曰く、「あ、この器は、結構好みが別れるんですよね。」という
彼の作品の中でも特に「個性的」というか「攻めたタイプ」の器が、
どうも丁度自分のストライクゾーンのようだ。
結局この日は清水焼の華やかな抹茶茶碗を買いに来たのだけれど、
それを買わずに、阪本さんの作った緑色の、どこか青銅器を連想させる井戸型茶碗と、
惣菜を盛るのに良さそうな迫力ある片口の形の変形器、
表現は悪いけどまるで七味唐辛子を表面にまぶしたような素材感のある個性的なぐい呑み
計3点を、旅行鞄に詰め込んで清水焼の里から帰るバスに乗ることになった。
そして、年の瀬の神戸出張の帰りがてら、大阪は利休の故郷でもある堺市の阪本さんの窯に、
「歳暮用に何か器を買いたいのだけれど、ありますか?」と言い図々しく押し掛けた上で、
窯と作品を見学させてもらった。
年齢の近さと、どこかしら互いに似ている気質に意気投合。
この日は遅くまで長居してしまい、結局夕食をご一緒してもらうことになる。
「歳暮用に」といいつつも、結局自分用にも1つ、
まだ窯から上がったばかりという荒々しい素材感の有る黒いぐい呑を計4つ全て買い占め、
箱書き付きで後日送ってもらうことにした。
この人の器は、酒も美味くするし、料理も美味くする。
ある意味当たり前のことなのだけれど、「所有欲が高ぶる器」というのは、
すなわち自分の「食」と「美」の感性に合うということなのだなと、
最近、彼の器はもちろん、なんとなく色気のある器、江戸以前の古い器を使いながら改めて思う。
前出の魯山人も、結局自分で美味いメシを食う為に、
陶芸を始め、海の幸も山の幸も揃う鎌倉に窯を築いたのも、
間違いなくそういう動機からに違いない。
そうそう。2016年2月16日迄、新宿伊勢丹の5F ダイニングデコールという売場の催事で
阪本さんの器も販売されているらしい。
大雑把な情報で大変申し訳ないのだけれど、ご興味の有る方は是非、
見て、手に取ってみて、この器で酒を呑んだり美味い食い物を盛ったりしている様を
想像しながら、もし気に入れば買って頂ければと思う。
「この器、好みが別れるんですよね。」
彼がそう言っていた類いの器も、そうでない大人し目の器とともに恐らく並んでいることだろう。
彼の「好みの分かれる」器にハマるような「同志」がいたら、
ちょっと嬉しい。