2016.02.08
YAKITORI SAUCE PROJECT。
「世界遺産」というと、何千年か前から丘の上に立ってる宮殿だとか、飛行機とバスとポンポン船でを乗り継いで辿り着ける圧巻の風景だとか、自撮り棒を振り回すお姉さんに頭をド突かれたりする大混雑の宗教遺産だとか、とにかくそういうものをイメージしていた。
2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」。
「は?」
と、あの時耳を疑った人も多いのではないだろうか。我々が慣れ親しんでいる日本の食文化がタージマハルや白神山地と並ぶのか?と。
そう。自分は「世界遺産」と、「無形文化遺産」の違いがそもそも分からなかった。報道でも大体「世界遺産」的な括り方で紹介されるから、今でも混同している人ももしかしたら多いかもしれない。SUSHIや、RAMENや、TENPURAは「世界遺産」ではない。そして回転寿司で次々流れてくるイクラやネギトロがNHKスペシャルで空撮されることも勿論ない。
せっかくこの日本の食文化が世界に名誉な賞を受け認められる存在になったのだから、2020年東京五輪を迎えるにあたり、これは何か出来ることは無いものか?と色々考えてみる。世界中の人々に、日本はもちろん「日本の食」を好きになってもらう上ではまたとない機会だ。海外からのお客さんには本当に美味しくて、そして正しい日本料理を食べてもらいたい。さらに欲を言えば日本の味を持ち帰って、母国の人々にその美味しさをシェアもらいたいではないか。
ある晩、しみったれた近所の焼き鳥店で独り、好物のハツ(塩)と鶏皮(タレ)をアテに季節早めのひやおろしを呑んでいるときにふと閃いた。
「・・・美味い焼き鳥のタレを作ればいいんじゃないの?」と。
そう。「タレ」だ。
焼鳥の良い所は、「世界中多くの人が口にできるであろう料理」だということ。地球上には、宗教的理由で牛や豚、特定の魚類などを口に出来ない人が多くいる。貧しさゆえに満足な食事が出来ない人も大勢いる。その中で、人々が最も口に出来る機会がありそうな肉類と言えば、そう。チキンだ。現在の日本では「ハラール」と呼ばれる、食肉においてシビアなイスラム教義をクリアした鶏肉が、実はかなり多く生産されている。ユダヤ教のカシェル認定などは難しいのかもしれないけど、これから間違いなくそういった宗教のタブーを乗り越えた美味しい鶏肉は増えてゆくことだろう。更に焼鳥という料理の素晴らしいところは、寿司や天ぷらと違って、最低限「鶏肉」と「炎」「串」さえ有れば地球上の何処でもそれに近いものを作れるというところだ。
そして、もう一つ焼鳥の素晴らしい点は「日本中何処でも食べられる料理」だということ。焼鳥を日々食べ歩いて気づいたのだけれど、恐らく「コンビニ」より「焼鳥屋+焼鳥を扱っている居酒屋などの飲食店」の方が明らかに数が多いのではないかと思う。よほどの過疎地は別として、辺鄙な駅周辺でも(コンビニさえ無い無人駅でも)歩けば焼鳥屋の1件2件は大抵見つかるし、ターミナル駅などで焼鳥屋を探そうとGoogleマップに「焼鳥」と検索を入れるだけで、数えるのもバカらしくなる程夥しい数のピンで画面が赤く染まる。そう。世界の人が、日本で焼鳥を食べてもらう環境は十分過ぎるくらい整っているのだ。更に、高級店と安い街の焼き鳥屋では勿論味は違うのだけれど、ラーメンや寿司のような大きな当たり外れもないどころか、むしろ安くて抜群に美味しい店が日本中に偏り無く点在しているという点では、「間違った日本の味」を覚えてしまうリスクも極めて少ないといえるだろう。
それらを踏まえて、どんな鶏肉を焼いても「おいしい焼き鳥を焼ける夢のタレ」がもし作れれば・・・世界の和食「YAKITORI」ファンを爆発的に増やすことが出来るかも・・・という結論に至るわけなのです。焼鳥なら「塩」で良いじゃないかという反論も有るかもしれない。が、考えてみて頂きたい。肉自体のクオリティに対し、料理としての味が左右する幅が少ないのは「塩」よりも「タレ」に違いない。第一、「塩」では「和食感」というものが出ないではないか。さらに言えば、TERIYAKIという味が既にある程度アメリカ文化にも浸透していることを考えると、甘い醤油の味は欧米一般にも受け入れ易い味覚であることは明白。アジア文化圏においても醤油ベースのタレが全く好まれないということはまず考えにくい。焼鳥は、SUSHI・RAMENと並びまた一つ、世界の味になるポテンシャルを、十分すぎるほど秘めているということをご理解いただけただろうか。
2014年夏以降、毎週焼鳥を食べ歩き、その店のタレの特徴や風味を味わい噛み締める日々が始まる。ビターでさらっとしたタレも有れば、甘くてとろみのあるタレがある。黒漆を思わせる濃い色のタレ、淡いアメ色のタレ。醤油と砂糖と味醂以外は特に工夫のないタレ。まるで材料と作り方の想像がつかない独特の風味のタレ。1日2日では醸せない老舗の熟成と複雑味のカオスが奏でるタレ・・・それらの味を、ホロ酔いの脳裏に焼き付ける日々。
自宅では、試作1号、10号、20号・・・・最近ようやく、「マズい焼鳥屋さんのタレよりちょっと美味いタレ」が出来るようになった(気がする)。同時に焼鳥の仕込みというものは、意外と手間がかかるということもわかるようになる。しかもこれを100円台、下手すると数十円で出す店が日本中に星の数ほどあるのかと思うと、改めて日本の外食文化の洗練度合い、「和食」のプロ仕事のすばらしさに改めて気づかされるというものだ。
まだまだ殆ど食べ歩いたり家のキッチンで試作を繰り返しながら色々と練っている段階なのだけれど、幸いなことに食品開発関係者や人気飲食店シェフ、グルメな知合いなどが周りにいるお陰で、今後も色々な人に相談したり手を借りながらこのプロジェクト(と言ってもタレをつくるだけなんだけれど)を、なんとか2020年までに現実のものにと妄想を膨らませているのです。
パリのビストロで、白夜の街角で、中東の砂漠で、アフリカの集落で、人々が美味い焼鳥が食べられることを夢に見つつ、今夜もどこかの焼鳥屋の暖簾をくぐるだろう。(ナレーターなのに。)