2018.02.18
極東2月。地震とオリンピック。昭和を知らぬ世代。TWICEを知らぬ世代。
台湾東部の街、「花蓮」は、日本人にとって、なんとなく古き良き昭和中期の香りに似た、懐かしさと穏やさを感じる町だ。
「鵝肉先生」という名の、非常に古めかしい老舗ガチョウ料理店がこの街にある。台湾人にしてみれば面白くもなんともない名前なのかもしれない。けれど我々日本人にとってはなかなか印象深い店名だ。同時にこの店の蒸したガチョウ肉につける見た目はパッとしない「ツケダレ」が感激的に美味くて印象に残っている。たまに日本の中華料理屋で通り一遍なで棒棒鶏なんかを食べていると「ああ。あのタレで食べたらきっと美味いだろうなあ・・・」と、ふと花蓮が恋しくなるくらいだ。
花蓮で「美味い」と言えばもう一つ。自転車で一日中街を回りながらおやつに食べた「葱油餅」。これは絶品だった。クレープ状の生地を油で揚げ、中には半熟の卵。クレープというよりは、「お好み焼きの親戚」といったフォルムで、こちらも見た目はまるでパッとしない。しかし、独特の酸味の効いたタレがジュ〜ワっと口の中に広がる瞬間が至高で、(食べた人なら、この妙な表現がわかる)台湾のどの街で食った葱油餅ともまるで違う。もちろん、日本でこの味に出会えることはないだろう。
2月7日深夜、その花蓮の街に地震が襲った。倒壊した建物の画像をネットの記事で見て「なんだかこの建物、見覚えがあるな・・・」と思い花蓮旅の写真を調べてみる。
やはりそうだ。
花蓮の旅で泊まったホテルだ。自転車を借りたのも、で美味い店を教えてもらったのも、チェックアウトの時間に寝坊したのもこのホテルだった。古い建築が多い花蓮の街にあってかなり立派で新しい部類の建物だった。だから今でも信じられないような気持ちがある。震災から数日、ニュースやネットの続報を追いながらも、日本のメディアでは殆ど花蓮の街の様子を伺い知ることができない。あの、「鵝肉先生」のように古い建物が多い街だから、他いろいろな建築物や人に、被害があったのではないかと街の様子を想像しながら胸が痛む。あの長閑でおおらかな街の日常が戻るようにと、ただただ祈るばかりだ。
日本と台湾は、「地震」という悲劇で、何度か心を一つにしている。これほど近隣に有って、複雑な歴史背景がありながらも、共に助け合い、どこか友情のようなものが流れている関係国(国ではなく、中国の「地域」と言わなければいけないのかもしれないけど)は、実はそれほど多くはない印象がある。フランスとイギリスも、トルコとギリシャも、インドはその周辺国大体と。スウェーデンとノルウェーだって仲が悪いらしい。
相互の国に地震があると、SNSなどで心配と応援の声で湧く。こんな美しい関係があるだろうか。勿論、アンチだっている。でも、台湾と日本は、今の子供たちやそのいくつも先の世代においても、困難に助け合い、尊重し合う関係を培ってゆけるようなそんな関係が、代々引き継がれればよいなと、平成という時代の終わりを前に願うばかりだ。
一方、韓国と日本では冬季五輪前に「慰安婦問題」が再燃し、残念ながら両国の国民感情はあまり芳しくないと言える。「不可逆的」という言葉が約束に盛り込まれたにもかかわらず、大統領による発言に「またか!一体いつ、どうなったら解決するんだ!」と遺憾に思う日本人もいて、韓国では「スキャンダルで追放された前大統領が結んだ約束など無効だ!」と言う意見が、一部で加熱しているようだ。「良い、悪い」、「正しい、違う」、こういう問題はやはりニュースが世論を煽り、ネット上では二元論的な意見が持ち上がると、熱量を持ったナショナリズムが相互に違う方向を見つめたまま、平行線を辿る以外にはない。これは勿論日韓に限ったことではなくて、「世界共通のもの」だから。
では、日本国民、韓国国民がそれぞれ皆この問題について極限に感情が高ぶっているかといえば決してそうではない。世界的にかなり勤勉な両国の人々は、他に日常生活で考えたりやらなくてはならないことが多いから?か、実際、何らかの思いはあれど、しかしクールに構えている、構えざるを得ないという印象もある。
いやはや、世界は複雑だ。声高に「平和だ」「武器を捨てろ」とも言い切れないし、他国自国の論調や政治パフォーマンスに反応して「怒りの中心」に立つには至らない。それを「政治や国際問題に関心がない!」なんていうネガティブな言葉で結論付けられるのは自分はちょっと違うと思う。もしそれを「平和ボケ」だとか「無責任」と呼ぶならば、100歩譲ってそうなのかもしれない。けれど、もしそれが「平和ボケ」だとすれば、国民が少し「平和ボケ」しているくらいの方が、精神的に「成熟した思考の社会」に違いないと個人的には思うのだけれど、どうだろうか。
韓国平昌で、冬季オリンピックが始まった。互いに競い合い、互いを高め合い、互いの健闘に拍手を送る。「競争」という言葉は「競う」と「争う」という2つの言葉でできている。「競技」という言葉には「競う」と「技」の2語。「争い」つつ「技」を磨き、称え合う場が、この歴史ある祭典の文化的意義だ。競技の上での「国のトップ」同士が命を懸けて争っても、いさかいや紛争の種にはもちろんならない。「政治」は、「スポーツ」とは全く違う。けれど、オリンピックは、現実ではなかなか成し得ない、けれど国際社会のあるべき「理想のかたち」を見せてくれる。争った仲が互いに競技後に称え合い、数日後に行われる閉会式には、負けた人もメダルを取れなかった人も、各国の皆が清々しい顔で揃うことだろう。他国の選手にも開会時の何倍も好意を持った目で見ることができる。オリンピックは、あの姿がやはり美しい。
美しい町、人情味あふれる出会い、素晴らしい芸術、いい音楽、見ごたえある映画やドラマ、カッコいい俳優、魅力的なタレント、そして旨いメシ。アジアを旅すればするほど、その国の嫌なところもちょっとは見つかるけど、その国の良さは、何倍も体で感じることができる。
昭和の頃の人々は、世界各国の情報量が、今の10分の1もなかったと思う。一般市民は、海外のあらゆる国に、今とは比べ物にならない精神的距離が有った。来週末、2日を休んでLCCに乗れば、贅沢さえしなければ韓国も中国も台湾も3万円で行って帰ってこれる。あるいは家に居たって、外国の情報を山ほど見て、知ることができる。(ただし、情報が「偏らなければ」ということだけど、まあ、そこが一番難しいのかなあ・・・)
人は、「隣のクラス(或いは部署など)にいる、ちょっと変な奴が、何かのきっかけで話したら意外と良い奴だった!」みたいなことは、人とかかわる以上誰にでもあることで(まあ、たまにその逆もあるけれど)勿論知れば知るほど、その人たちは「他人」ではなくなる。仮に国家が戦争という狂気を実行に移そうという折、相手がいくら憎しと言えども、少しでも、国や個人や文化、何か愛着あるものを一つでも知っていれば、交戦しようという意識は、きっと薄れるに違いない。かく言う自分、昔は実は韓国の人も中国の人も『イメージ』で嫌いだった。今はその真逆だ。中国や韓国から、本当に大勢の観光客が訪れるけど、これは観光地にお金を落としてくれるなんていう表面的な有難さは二の次だと思う。日本にとってはものすごく有益なこととは、『日本、良い国だった。日本人、結構良い奴だった』。これほど我々にとって価値のある言葉があるだろうか。
実は、中国、台湾などから「心の手土産」を沢山貰ってきて、でもそれをなかなか配りきれていない。これを消化できない自分に、本当に悔しさが残る。
回りくどく話したけれど、つまり相互に他国を知ることは、未来の子供たちの安心した生活へと導き、つなぐ、我々の一つの「使命」なのかもしれないと、旅をすればするほど、しみじみ思うのだ。
なぜこんな話をすることになったかというと、実は台湾で地震の起きた夜、たまたま仕事の調べ物をしていて「TWICE」という、韓国の女性アイドルグループのことを知ったことに始まる。
若い人ほど彼女たちの名前を知っている。日本の現職大臣をより間違いなくこの9人の名前と顔を知っている子の方が多いに違いない。つい最近、彼女たちの存在を知った私など、完全に「情報弱者のオジサン」である。
実は、昨年日本の音楽シーンでもデビューしたこの9人グループの中に、なんと3人の日本人と1人の台湾人が居るのだ。韓国はもとより、アジア中で既に非常に人気があり、彼女たちのダンスに、歌に、ルックスに、楽曲、PVの作り込みまで、本当に卓越したクオリティをもっている。アイドルやK-POPに正直全く興味が無かったというより、どちらかと言えば否定的な見方をしていた自分ですら、その完成度に魅入ってしまった。韓国の芸能は、本当に卓越している。去年「世界の美しい顔TOP3」に選ばれた、台湾の地方都市(花蓮ほど田舎ではないけれど、台南という長閑な町)出身のメンバー「ツウィ」。以前その「美しい顔・・・」の記事で写真を見た時には「ふーん・・・この子がねぇ。」くらいにしか思わなかったけれど、確かに色々と知りながら見てみるとこんなに魅力的な子は日本のタレントの中には殆ど、或いは、正直一人も居ないんじゃないか?と思う位だ。(日本の化粧品メーカーは、早くこの子と契約した方が良い)そして何と言っても「ミナ」、「サナ」、「モモ」の日本人の3人の女の子たちが本当に素敵だ。「こんな逸材が本当に日本に居たのか?!」と疑問にさえ思う位、タレントとして魅力的で、抜群にダンスが上手い。大人たちが下世話な情報番組不倫のニュースと並び韓国の政治ニュースを見ながら、ああだこうだと騒いでいる中、日本で生まれ育った彼女たち一人一人が、韓国内で爆発的人気を振りまいている。これが、現実社会だ。どうだ。大人たち。
実はアジア旅を始めた頃から、「いつか未来に、日本、韓国、中国、台湾籍が揃ったAKBみたいなアイドルグループが出てくる時代が来たらいいな。」というのが、一つ遠い夢として心の中に思い描いてたことだった。未来の若い人たちが、互いの国の、互いのタレントを好きになれば、やがて市民レベルで隣国への友好度や興味が増える。そうなれば、「政治的求心力の為に、他国を批判すること」は(今よりは)効力をもたないような時代が訪れるのかもしれない、と。そんな未来を想像させてくれるグループが、まさか韓国で・・・しかも2、3年前にすでにこのメンバーが結成されていたとは・・・。
東京の最先端と言っても良い「音楽放送局」に毎週出入りしていたにもかかわらず、韓国に毎年1、2度は旅していたにもかかわらず、彼女たちの存在を知らない自分が、本当に筋金入りのオジサンになったのだなと、今回は痛感してしまった。
どんな偉い政治家も、どんな頭のいい学者も、どんな巨大企業のCEOも、決して彼女たちのマネをすることなどできない。中国も含めて、韓国、台湾、日本の若い魅力的な人々たちが、これからもっとクロスオーバーして、各国でパフォーマンスをしたり、ファンと交流すること。政治的なフィルタリングのかからない状態で、テレビやネットに露出して人気を得ることは、すなわちアジアの平和に帰依するに違いない。残念ながら中国では強固なファイヤーウォールがネット閲覧すら困難にしていて、中国でも韓国でも日本の放送は殆ど自主規制で流されない。そして日本人も、中国全土から集まった超絶な歌唱力を持つ素人オーディション番組や、韓国のタレント達が登場するバラエティ番組を見ることができない。その大きな壁を、越えることが出来たら・・・
俺は思うんです。平和は、戦争反対のシュプレヒコールを上げることや、軍縮や軍拡の是非の議論、綿密な外交交渉といったものだけで、叶うものでは無いと。(もちろんそれらはすべて社会の成り立ちに「必須」なものなのだけれど)やはり、大衆が「互いに知ること」「興味を持つこと」も、全く同じようにものすごく大事だ。国と国は、平和のために、こういうことにも力を入れなくてはならない時代が来ている。だから今回、地震とオリンピックという狭間の中で、こんな文章を書きたい衝動をその想いのまんま書くことに決めた。
「TWICE」。偉大なPOPSTARの先駆けとして、これからも世界にむけて頑頑ってほしい。今月になって初めてその存在を知ったばかりなのだけれど(苦笑)今月からニワカFANになろうかと思う。