2017.12.17
「男膳」otoko/zen 。
先日、ふと、好みの「皿」や「ぐい呑」などの良い器を選んで買う男性が、どのくらいの割合居るのだろうかと考えてみた。
たまたま私の周りに「飲食」・「陶芸」に携わる知人が多いので、何人かの心当たりがあるけれど、「それ以外の分野」の人で考えると、多分ゼロに近いような気がする。「男性全体」というところで考えれば、恐らく10%にも満たないのではないだろうか。
「いや、買っちゃったんだよ。テイラーメードの新しいドライバー。」なんて会話は神田・新橋界隈の飲屋街でうんざりするくらい聞けるかもしれないが、
「良いぐい呑を見つけてさあ。週末、秋田の純米吟醸で一杯やるんだ。」なんていう話を耳にするとは到底思えない。
そうか。
そもそもこのご時世、無難でそこそこ見た目の良い日用品の食器が欲しければ無印やIKEAなんかで事足りてしまうから、ギャラリーで「作家モノ」を買ったり、わざわざ陶器市に出向いて「窯物」を買い求めるなんていう機会は、よほどの巡り合わせが無ければ無いのだろうと思う。
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ところで、日本ほど「個人陶芸家」の多い国はまず他に無いらしい。洗練され、卓越した陶芸技術。バラエティに富んだ作風・・・彼らの作るもはや「アート作品」とも言えるような食器が、殆ど人々の生活に浸透しておらず、且つ、理解されていない現状は、実に勿体ないことだと思う。
「そもそも家で殆ど飯など食わないよ。」という方も実際多いだろう。しかし、例えば土産や進物にちょっと良い酒を戴いたり、或いは仕事の帰りにコンビニで酒を買って家で飲むなんていう時でさえ、2つ3つの良い酒器と、何枚かの色っぽい皿があればそれだけでずいぶんと気分が違うというものなのだけれど、この辺が・・・なかなか。
あとは、我々くらいの年になると「家事分担で、週末は俺が夕飯担当なんですよ。」なんていう人も結構居る。そういう時の為に、「男料理用の大皿」だとか、「たまに使う良い器」なんてものがあったって良い。慣れないヘタクソな料理でも、いい皿に盛るとなんとなく見栄えがするものだ(というのは私の経験則)。それに一度買ってしまえば、ビンテージ・スニーカーみたいに履いて擦り減るようなこともないし、V8エンジンの高級車みたいに待望のGW前に不意打ちで高い税金納付書が届くこともない。或いは、生き物のように儚くもなく、人間のように裏切りもしない。
No Riskである。
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「器ねぇ・・・。別に、味が変わるわけじゃないんだから。」
と、そんなことを言う人も居る。いやいや、ちょっと待っていただきたい。例えば「晴れた日に代々木公園のベンチで食べるおにぎり」と、「薄暗い都営地下鉄のベンチで食べるおにぎり」を今、想像していただきたい。物を口に入れる一つの「環境」が、大いに味に影響をするのが、人間という「感性」を持って生まれた生き物だ。だからある人は、春の目黒川の桜並木道に座り込んでビールを呑み、ある人は、京都鴨川の土手に張り出した納涼床で夏のハモを食らう。
器もそれこそ、最も身近な「環境」の一つであって、「食べる。」「呑む。」という日常の「ルーティーン」を、意識すればするだけ、「彩り」や「愉しみ」を存分に与えてくれるものに他ならないのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~手製の八丁味噌のクリームチーズ漬けを盛る皿は「練上手」と呼ばれる技法。異なる土をマーブルのように練りこんで焼成する。片口は阪本健氏。ぐい呑は人間国宝・加藤卓男氏の鼠志野。
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ところで、「ウツワ」の好みには男女で違いがあるようだ。「布袋寅泰」のライブと「西野カナ」のライブみたいに、結構、男女の趣向がはっきりしていると言って良いと思う。陶芸家の方々も口々に、「この形のお皿、女性には人気があるんですよね。」「この釉薬の器は料理人の男性しか買ってくれませんよ。」なんてことを言う。
春になると、私は毎年茨城の酒蔵の蔵開きに遊びに行き、同時期に行われている笠間焼の陶器市「火まつり」に、友人ら男女数人と行くのだけれど、そこで無数に連なるテントの下に、様々な陶芸家の作品が並んでいる中、男性と女性とでは、ふと立ち止まって手に取る器が、まるで異なるものだなあということを実感する。時々、熟年夫婦のやり取りなんかを見ていると面白い。ああでもないこうでもない、こっちがいいあっちがいいと、そのうち喧嘩が始まって「じゃあもういいわよ!あんたと一緒じゃ見れないわよ。今から自由行動ね!!」なんていう光景が繰り広げられる。熟年離婚のきっかけにならなければいいなと心配にもなるが、幾多のものを乗り越えてきたからこそ、文句を言いながら遥々二人で陶芸市なんかに出向いているのだろう。
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「男の好きな食べ物」があるように「男の好きなウツワ」があって、その2つを合わせて最近、自分で「男膳」なんて勝手に呼んだりしている。直感的に「あ。この器はかっこいいな」「うむ。これにあん肝なんかを乗せたらうまそうだ。」なんて思う器を、騙されたと思って一度でいいから皆さんに買っていただきたい。酒を飲まれる方は、ぐい呑やビアマグから攻めてみるほうが、使用頻度からして良いと思う。器に対する個々の感性は、そこからふと生まれてくるし、食に対する深みがフィードバックされ、本当にどんどんと洗練されてゆく。
「私の真ん中に、俺が帰って来る」なんていう車のコピーがあったけれど、まさにカッコいいクルマを欲しがったり、子供の頃で言えば、ロボットや特急列車を見て「カッコいい!」と感じる一つの「美的感覚」のチャンネルが、今も心の奥底に存在しているからこその「好み」があって、それが選ぶ器に現れるのではないかと、最近は思うのだ。
男性ウケが良い器は、具体的には、やはり色が綺麗であったり美しかったりもするけれど、同時に、メタリックな輝きが有ったり、或いは逆に暗色の渋さが際立っていたり、ゴツゴツとして荒々しく無骨だったり、直線的でダイナミックだったり・・・やはりどこか「カッコいい」という感覚に近い要素が含まれたものが多いように思う。
冒頭の写真は、以前から気になっていた備前焼系の天才陶芸家・市川透氏の「陶板」に。秋刀魚を焼いて盛ってみたものだ。ううむ。「カッコいい!」
実はこの陶板、元々売り物ではなく、先日京橋のギャラリーで行われた彼の個展で、商品を飾るための「オブジェ」として作られたもの。一目惚れして抹茶茶碗を買った後、どうしてもその荒々しく怪しげな煌きに後ろ髪引かれ、結局無理を言って譲ってもらった、ある意味、超レア・アイテム。今思い出すと「よくそんな図々しくなれたな・・」と恥ずかしくなるのだけれど、それだけ衝動的に手に入れたくなったのだろう。
ぐい呑と焼酎カップも見ていただきたい。こちらも天才(と言うと「イヤイヤ・・・」とその評を固辞するけど)堺に窯を構える阪本健さんのもの。実は阪本さんとの出会いは4年ほど前に遡り、横浜で行われた新進気鋭の作家たちが集まるイベントで、彼の焼酎カップとすれ違ったのがきっかけだった。千点以上の器がひしめく中、いわゆる「一目惚れ」である。他にも手に入れたい作家さんの器も勿論山ほどあったのだけれど、実はこの日の直前に、ろくでもない散財(ポンコツイタリア車の車両代と、同等の修理代金)をしたばかりだったので、「今日は器を買わない。」と心に誓っていた。しかしその晩、帰宅とほぼ同時にお気に入りの黒糖焼酎を、彼から買った焼酎カップに注いでいたことは、言うべくもない。
以来、大阪出張のついでに堺の窯にお邪魔したりと付き合いが続き、我が家の器は結構彼の作品で賑わっている。今年は、私が企画した酒の会に合わせた70個ものぐい呑を無理言って製作してもらったのだけれど、これが友人や著名人たちにも大変好評だったので本当に嬉しかった。
(※実は阪本さんのHPは、友人と私で作成したので、私のシブツが沢山載ってます。)
好き嫌いの感性は人様々であって、女子でも「男膳」的なものが好みという人もいるし、男性でツルっとしてシンプルで淡い色磁器が好みという人だって結構多い。こんな趣旨の文章を書いている私だって、真逆のツルっとして薄くて、どちらかと言えば男性より女性に受けるようなタイプの器も同様に好きな訳であって、実際のところ「酒器」に関しては、実は同じくらいの割合で食器棚に飾ってある。
けれど、前述のように男性は女性と比べると陶磁器を買うことがかなり割合的に少ない。結果、「カッコいい器」は、器の世界ではどちらかと言えば「マイノリティ」となってしまう。なんとかこの、おでんをぶち込んだり、豪勢な寿司を並べたり、熱々のご飯をドカっと盛ったりした際に、痺れるほどカッコいい「男膳」を、私は「布教」してゆきたいのです。
男性諸君!或いは男性的なウツワをお好みの素晴らしい女性の方々!
「メシ」「酒」を、かっこよくて「美味い器」で味わい、酔い知れようではありませんか!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~こちらも「インパクト」のある「男膳」。調理といえばトコブシにバターと醤油を乗せ焼いただけ。焼地割れのようなヒビと暖色系の焼き色が目を引きつける平皿。少しtoo muchにも思えるくらいの盛りが、男心と食欲をそそる。
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