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2017.06.13

201605 Philippinesマニラ② 邂逅のコパカバーナ。

201605 Philippinesマニラ① 危険なエアポート。往年のトランぺッターと500ペソ紙幣。

からの続き・・・

 

500ペソを受け取らない運転手に痺れを切らしていると、若いホテルのセキュリティがその紙幣を指差してボソッと呟いた。その彼の一言でようやく、運転手が文句を言い続けているその理由が呑み込めた。

 

「OLD MONEY.」

 

要するに、2年前のマニラ旅で使い余り、今回日本から持って来たペソ札は既に2016年には「旧札」であって、「紙幣としては無効」であると、そういうことなのだ。運転手の早口と、恐らく彼独特の言い回し。そして致命的な発音のせいもあるとは言え、自分の英語のヒアリング能力の無さを棚に上げて彼に文句は言えないな、と心の中で思った。

 

財布から細かい札束まで全て引っ張りだし、「俺が今持ってるこの紙幣も、それとこの紙幣も、オールドマネーで使えないってことか?」訪ねると「そうだ!そういうことだ。お前の持っているのはオールドマネーだ!」と、運転手はここで「オールドマネー」という言葉を初めて使った。

 

予約したのが中級ホテルでホッとした。何故かと言えば、まず手持ちの旧札は何処のホテルであろうと、現行の新札への交換は出来ない筈だ。日本みたいに旧札を出されて「あら、珍しい!」なんて喜ぶ国の方がきっと少ないだろう。すなわち、今の自分はこのマニラで使える紙幣を1枚も持っていない=「無賃乗車だ」と言われても決しておかしくない状況である。深夜の海外でこれは相当困ったシチュエーションである。しかし、アジア大都市の、ましてや日本人客が多いマニラの中〜高級ホテルならば手持ちの「日本円」は、ほぼ間違いなく新フィリピン・ペソ札に両替が出来るはずである。

 

 

「ようやくあんたの言っていることがわかったよ。申し訳ない。」と「外国人」として素直に詫びなくてはならないと思った。昔、田舎の寂れた定食屋で変な外国人が「何故、飲食店なのにクレジットカードが使えないんだ。」と怒っていたのを見て非常に腹が立ったことが有る。「いいか?ここは日本だ。」口で言うか、心で言うかは人それぞれとして、日本人ならきっとそう言いたくなるはずだ。

この状況は、それと同じことだ。

 

 

「じゃあ、今ホテルのフロントで日本円を両替するから待っててくれ。」そう言いタクシーを降りようとするとアームストロング氏は「いや、ならばこうしよう。その500ペソを俺が一旦預かって、明日銀行で両替してホテルまで持って来てやる。良い提案だろ?」。何を言い出すのかと思えば・・・それならばさっさと旧札で清算を済ませて「ここは旧札の両替手間賃を、ちょっと余分にチップで色つけてくれればいいよ。ダンナ。」で最初から済むではないか。

明日、この旧札を握り締め、フィリピンの銀行に出向いて旧札を新札に替えられるのかどうか全く見当もつかないが、さすがに今旧札を渡して明日ホテルのロビーで悠長に彼を待つという選択肢をはナシだろう。不安を悟られないようあははと笑ってから「銀行は明日自分で行くよ。問題ない。」と彼の静止を押し切ってタクシーを降り、荷物を持ってホテルのフロントに向かった。

 

 

フロントには幸い英語の堪能な女性が居た。「チェックインを・・・とその前に、この日本円を両替して欲しいんだけど、大丈夫?」と言って、タクシーを降りてセキュリティと立ち話をしている運転手を指差しながら、「あのミスター・ルイ・アームストロング氏に今タクシー代を払わなくてはならないんだ。」と説明をする。フロントから前かがみになってエントランスを覗いた彼女は「なるほど。」という表情でこちらを見て、決して良くはないレートで出された計算機の表示を見せる。ホテルなのだから仕方がない。むしろこのレートなら御の字である。OK、と頷くと1万円札を細かいフィリピンペソにすぐさま両替してくれた。

「この札だったら大丈夫かい?」とエントランスに向かって歩きながら札を冗談っぽく振って見せる。

 

「その札だったら大丈夫だ。まったく...ようやく払ってもらえるぜ。」と彼はいかにも、というため息をつつ笑いながらセキユリティに話しかけた。演奏を終え、トランペットを片手に拍手喝采を浴びた後、ルイアームストロングはこういう笑みを浮かべるのかもしれないと思った。運賃170ペソのうち200ペソを渡す。「旦那・・・もうちょっと色付けてくれないか。結構待ったぜ。」その反応も織り込み済みだ。「日本人は皆金持ちだと思うなよ。俺はプア・ジャパニーズだ。覚えといてくれ。日本にも、金持ちと貧乏が居る。俺は後者。分かるだろ?」旅先で値段交渉が面倒くさい時に良く使う言い回しだ。待たせた迷惑料として両替の端数となった20ペソを取り出し、合計50ペソをチップで渡した。渋々ながらも彼は笑顔で「サンキュー・・・。」と言い、僕らは握手をして別れた。セキュリティと運転手は顔見知りなのか、それともたまたま何かの話で意気投合したのか。多分後者だと思うがしばらく何やら愉しそうに話していた。フロントでデポジットのクレジットカード控えにサインをし、チェックインを終えて部屋に向かおうと振り返った時には、アームストロング氏とタクシーの姿は消えていた。勿論、彼のトランペットを待ちわびるアンコールも無く、深夜のロビーは微かな冷房の音以外は聞こえない、深夜の静けさに包まれていた。

 

 

 

「コパカバーナ・アパートメント・ホテル」。「コパカバーナ」と言えば言わずと知れたブラジルのビーチリゾートだ。その言葉の響きを耳にすると、お袋の若き日の昔語りに登場する赤坂のナイトクラブを思い出す。日本語でも英語でもない、不思議な言葉の響きが子供心に妙に印象的だったのだと思う。バリーマニロウのあの曲が「コパカバーナ」という題名と知ったのは、確か浪人中に入った横浜のCDショップだったと記憶している。

 

コパカバーナはかなり旧い造りの鉄筋コンクリートのリゾートホテルだ。予約サイトの写真を見ながら恐らく建築は1970年代頃ではないかと思いつつ予約サイトを色々調べてみたところ、丁度自分と同じ1974年の生まれの建物と知ってここに決めた。

 

最近、懐古趣味が日本の昭和の面影にとどまらずアジアや、海外の中途半端に旧い建物や家具、車などに妙に惹かれはじめ、ようやく自分がそういう性癖なのだと気がついた。70年代映画に出てくるような、古びた言わば何の面白みも無い鉄筋アメリカ風建築もストライクゾーンの一つだった。南国の熱気と、装飾性に乏しい建物がかえって特徴的にさえ思えた。無機質なコンクリート壁は、以前友人が住んでいたワイキキの「フォー・パドル」というコンドミニアムマンションにどことなく醸す空気が似ていて、エレベーターを降り通路を歩くと夜のオアフ島に遊びに来たような錯覚を覚えた。

 

部屋に入るなりエアコンを最強にして、リゾートホテルとしては決して大きくない窓からのシティビューを眺める。遠くにはマニラ中心地のビル群が煌めいている。右を見下ろすとそこそこマニラでも有名らしい「EDSA COMPLEX」というゴーゴーバーやクラブが入る建物のネオンが煌めき、何台ものタクシーが集まっている。目下を流れる片側6車線の道路を、深夜にもかかわらずそこそこの交通量の車が通り抜ける。

荷物を置き、顔を洗い、うるさいエアコンの風量を少し落として部屋を出た。早速ビールが飲みたい。ホテルの一本裏の道路に、いわゆるファミレスのようなアメリカンダイニングが深夜まで営業しているのを事前に調べていた。

 

先程の若いセキュリティが気付いて、少し微笑みながらエントランスのドアを開けてくれる。こちらとしては苦笑いしながら礼を言って一歩外に出る。こんな深夜の街外れだというのに道を屯している男達が数人、そして「ベティキャブ」と言われるサイドカー付き自転車の姿があった。興味が無い振りをして歩いていたが、ベティキャブのうち一人の若者が「Hey!Hello!」「Where!!Are you going? Hello!」と叫びながら何処までもしつこくついてくる。「遠くに行く用事はないんだ.」と言うと、「ならばどこに行くんだ?」と訊く。「そこの裏のレストランだよ。」と答える。「ケニー・ロジャースか?」と訊く。「そうだ。」と答える。「あそこはもうこの時間クローズしたぜ。」と彼。「いや、やっている筈だ。」「嘘だと思うなら行ってみなよ。」

 

深夜営業の店だということは調べが着いている。そんな筈は無い・・・そう思いつつも、いつ書かれたか分からない古いネット上の情報を鵜呑みにして、過去海外で失敗してきた数々の記憶が頭をよぎる。携帯で時刻を見ると現地時間0時を回ろうとしている。少し歩きながらそのレストランの方角を遠く見てみると、いわゆるファミレス的な店の割に、看板が煌煌と道路を照らしているような印象は無い。念のため店の前まで行ってみようかと悩むが、「嘘だと思うなら行ってみなよ。」という彼の言葉に、それほど嘘の匂いは感じられなった。

 

ならば彼の薦めるがままに、ちょっと離れたレストランまで乗ってみようかとも考えたが、どうせ決まって「もう一件、次は遊びにいかないか?」「若い女の子が居る店を知ってるんだ。」などと非常に面倒くさい展開にならないとも限らない。先を考えれば考える程色々なリスクをイメージできる。立ち止まると彼は畳みかけるように話しかけてきた。「仕方ない。今日はホテルで呑んで寝るよ・・・」彼が諦めてくれるよう、魂が抜けた人間のようなそぶりをしながら引き返す。

 

大きな道路のはす向かいの更に向こう側に「Jollibee」という、マニラでは欧米のファストフード店を凌駕する人気フィリピン系ファストフード店の灯りが見える。アルコール類は確か置いていなかったような気がする。わざわざ片側6車線の道路を渡り更に反対側片側6車線の道路を渡って特に呑みたくもないコーラと美味いという保証もないチキンを持って帰ってくるのもばかばかしい。ならばホテルの並びにあるコンビニでツマミを買って部屋でテレビを見ながら飲めるだけビールを飲むことにしよう。ずっと気落ちしたフリをしたままホテルの方に戻る自分にベティキャブの兄貴はしばらく食い下がってきたが、「本当に乗らないよ。俺、疲れてるんだ。呑んで、寝るだけ。」という言葉に、ようやくつまらなそうに「持ち場」に戻って行った。

 

コンビニで2種類のビール、大きめのミネラルウォーター、適当な謎のスナックを買い部屋に戻った。夜も更けガッツリ何かを食べたいという程の食欲はほぼ失われていたので、むしろこれが丁度良かったのかもしれない。シャワーを浴び、テレビを付け、パソコンを開いて仕事をしながら呑む味の薄いビールと謎のスナックの相性は悪くなかった。「アメリカの味」だった。

 

500MLのビールを飲み終えると、少しずつ睡魔が襲って来た。更に350MLのビールを空け、チビチビと呑みながらマニラの地図をgoogle mapでスクロールし、明日オフライン時でも見られるようにiPhoneに読み込ませる。こうすればネット環境が無い街中でもGPSが自分の居る位置を地図上で示してくれるので迷わずに街歩き出来る筈だ。

 

出発前に大体1週間分の仕事を片付け、日本から近いとはいえ5時間弱のフライト時間を過ごした午前2時は「寝落ち」に相応しい疲労を十分に蓄えていた。ベッドに潜り込み、PCを傍らに開く。「明日チェックアウトの時間まではホテルのプールで甲羅干しをするとしよう。」6月初旬。日本で太陽の下半裸になれるのは当分先の話だが、マニラの気候は既に日本の8月。「夏先取り特権」である。行使しない理由はない。

 

少し暗くした部屋の赤い壁の色にまどろみながら、頭に流れてくるのは「コパカバーナ」のメロディではなかった。あの曲は、ゆったりしたい時の南国イメージからは少しかけ離れている。代わりに流れてきたのは、どういう訳か「ロビ・カハカラウ」というハワイのシンガーがカバーした「Blue Bayou」という、誰かの古い曲だった。

「待ってくれ。ブラジルでも、ハワイでもない。ここは・・・マニラだ。」一応英語でそう自分に呟いた次の瞬間、重力に耐えかねた瞼が赤い部屋の壁を、ゆっくりと黒く染めた。

 

続く。